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2021年03月25日 [霊障]

NO200・・・悟りの歌

今日は多少難しい話になりますが、私達人間に生まれた者が目指さなければならない事が童謡に隠されています。正式な童謡ではなく、ある人物が後生に残すべく替え歌として残したものです。この替え歌にもいろいろの解釈があるのですが、悟りを得るための歌には間違いはありません。

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が統べった 後ろの正面だあれ?

 カゴメとは目の粗い竹かごと思って下さい。その中にニワトリがおり、人間の手中に収まった生活を一生しなければなりません。いつ殺されて食べられるかも知れません。このニワトリは実は人間で、人間というものは誰かの手の中で一生暮らす運命であるが、籠から出る事が出来るなら自由になれる事を指しています。何故鳥なのかと言えばインドでは悟りの事をムクターと言い、自由に羽ばたく事から来ています。■補足:籠目は江戸時代籠の中で鶏を飼っていました。その籠の目が六角形である事から、この歌のカゴメは六道輪廻を指しており、六道輪廻の輪からいつ抜けるのですか?と言う歌であり、抜け方を教えています。

 それでは、誰の手の中にあるかと言えば、神という人もあり、体という人もあり、宇宙の仕組みと言う人もいます。大きな意味で言えば神の手の中になるのですが、この歌の場合は体と解釈すべきでしょう。つまり魂は体の手の中にあり、その姿を籠の中の鳥と形象しています。

 その肉体に押さえ続けられている魂は何時自由になるのですか?その答えは夜明けの晩とあります。夜明けの晩?一体何のことでしょうか?この答えを得る為に先に鶴と亀がすべったとあります。これは鶴と亀が滑ったのではなく、統った・・・・つまり合体したことを指しています。この亀を魂と置き換え、鶴を肉体に置き換えて下さい。もっと掘り下げて陰陽論で考えるなら亀が陰で鶴が陽になります。

 これを経絡理論で考えるなら、亀が「任脈」で鶴は「督脈」に当てはめます。任脈とは妊娠の任ですから腹側の通りであり、督脈とは提督の督の字を用いますので、背中の通りを指し肝腎な通りを指します。

 ちょっと難しいですが、これを理解しないと難病治しも悟りを得る方法もちんぷんかんで砂漠の中に針を探すようなもので、頂上に至る事は出来ません。任脈は喉から丹田に流れ、督脈は仙骨から首までの氣の流れのルートの事を指します。つまりパトロールするルートで外から外邪が入ろうとすればやっつけます。直接やっつけるのではなく、その支配下にある者(兵隊)が戦いますが、その大元の任脈と督脈のエネルギーが弱ければ負けてしまうでしょう。

 言いたいことは、仙骨(督脈)のエネルギーは丹田(任脈)と交流し、上は喉(のど仏)と首で交流してお互いが助け合っているという事なのです。鶴は首が長く首をのばせば背中に当たります。亀は常に下を向いています。ですので鶴と亀が統一するという事は任脈と督脈が古流を始める事であり、心と体が統一する事でありますから、私達は心と体がバラバラだという事になります。これが難病の原因の一つであり、悟りとは体から離れる事を指します。

 夜明けの晩とは、悟りを得た時が夜明けですから、それが起こる前の晩の意味になります。悟って(籠か出て)見えた光景は、後ろ(肉体)の正面(魂)だ〜れですから。外に出て見えたのは魂が人間であった。になるのです。悟りの方法は任脈と督脈の交流が始まらなければ不可能と説いているのです。ですのでヨーガとはそれを行う訓練になるのですが、日本には日本のやり方がちゃんと残されているのです。

 グル行の受講生には、すでに教えていますが、正座をして体を前に倒し首は天を向く姿勢です。その時目は半白目にします。黒目が現実の世界を見る目で、白目が神を見る目ですから、その中間が半白目になります。全部で7通りあるのですが、病気の人や普通の人には難しいのでチップを貼って行うのです。


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