仙人の健康相談室ブログ | 気功療法や難病漢方相談は大分県湯布院町の仙人の健康相談室(医薬品販売業登録許可)へお任せ下さい。

漢方薬・火の儀式・除霊ヒーリング 仙人の健康相談室
大分県宇佐市の気功療法

BLOG

2022年07月05日 [聖者]

NO662・・・グルステッキ授与

NO662・・・グルステッキ授与
2022-07-01 | 聖者
 グルステッキ授与の提案をした時、スワミは渋っていた。私としては、すでにスワミのリーダーになって3〜4年経っており初回より連続で出席している人が16名おり、この人たちから、少しの動揺が起こっていることを察知していた。3〜4年という事は、10回以上参加しているので、お金もかなり使っていた。その時、その人達の間から夢の夢であり、一生通ってもアートマリンガムは拝受されないだろうとの空気が漂っていた。



 そのアートマリンガムも交渉していたが、数に限りがあるので全員に渡すことは不可能である。2〜3人の交渉は出来るであろうが、とても全員には無理である。その2〜3人を誰にするか?頭が痛い。そこで考えたのが、グルステッキの拝受で、その許可を少し強引でも取れれば次に繋がる。これが作戦である。私の立場は建設資金の捻出であり、スワミもそうである。



 人間って動物は、マンネリ化してあきらめの境地に達すると挫折する。霊性修行の基本は、忍耐と辛抱と信仰心だという。この辛抱をして忍耐を持ち続けるには相当な覚悟がなければ続かない。ましてプロの修行ではなく、一年に何回か湯布院に来るか、インドに1週間滞在して日本に帰り現生にどっぷり浸かる修行では、どうにもならない。それは、スワミも感じていたので渋った。



 短期の繰り返しで頂点を目指すには、どうしても「法」の伝授が必要であるのは当然である。そのことに対して、誰も反論は出来ないであろう。ゆえにスワミも中々OKしない。多くの聖者やサドゥはヒマラヤの誰も来ない奥地に12年間籠り修行するのが鉄則である。それでも成功する人はほとんどいない。それをわずか1週間滞在してグルの認証を与えろとふざけた事を言うなが、スワミの境地であったろう。



 スワミ、会社もそうなのですが、会社に入社して仕事を覚えた頃主任や係長というポストを与えれば、その人は、自分の能力以上の事をするようになるのですよ。自覚を育てる事も必要なのですよ。今は無理な事は私も重々承知していますが、一つこれに掛けてみませんか?と口説く。それでも、スワミは首を縦に振らない。



 そして、スワミは言う。「お前は、ヒンドゥの伝統にグルパランパラがある事を知っているな。このシステムで教えが永遠に引き継がれて行くのだ。ゆえに教えることも出来ない。弟子を育てることも出来ない者にその資格があると思うか?よく見ろ、皆、人の面倒も見らず、自分の事ばかり考えているではないか。陰でお前を支えている人が何人いるか?私に入って来る情報は、お前の足を引っ張る情報だらけだ。この資格がある者は、お前たちの様に菩薩行が出来るかどうかなのだ。お前たち3人なら私も喜んでババに推薦出来るが、他の者は、少し考えさせてくれ。これは重要な事なのだ。私がババに推薦して許可を得たら、その者をグルパランパラの系譜を引き継ぐ者に育てなければならない。私には、自信がない。」



 私たちには必要ありません。もうすでに物に対する執着は捨て、スワミとの交渉役に徹しているので必要はありません。とにかく16人に対してババの許可を取ってください。このようなステッキを制作して下さい。と、図面を渡す。その形状は、インドでも伝統的に引き継がれているので細かい打ち合わせの必要はなかった。直径3cmで少し太めの日本人用を考えていた。普通はシルバーが多いのであるが金メッキを要望した。後は、スワミ次第です。次回来るまでにお願いします。次回はこれをメインプログラムで行う計画ですから、早目に返答をお願いしますと、前回別れた。



 無理な交渉をして実力以上の物を与えるのですから、常識ある人は、あきれていたのでしょう。それらが積み重なる事によって離れていく人もいた。寄付を頂いた人が何も言わず去ったのも原因の一つかも知れない。が、私の心の奥底を読み応援してくれたのだろう。それを理解して頂ける、わずか数名の方に感謝しながら交渉をし続ける以外方法はなかったのであります。



 いよいよ授与である。スワミはグルパランパラの系譜の説明をした。「ババの承認においてこれを授与したものは、系譜を絶やさない一員にならなければならない。いずれ時期が来たら、私の元を去り、弟子を連れてインドの各地の聖地を巡らなければならない。これは私もやって来たことだ。いいな!約束だ。」はい!と全員約束したのだが、それを実行した者はいない。



 スワミはババとの約束を果たすことは出来なかった。それが早死にの一つの原因かも知れない。その原因を私が作ったのか知れない。やはり無理だったのかと後悔する時もあるが、あの時は、それ以外なかったと自分を納得させる。その後スワミは、今生最後のプログラムを発表するようになる。これは主に外人向けであったが、「スワミと一か月インドの聖地巡りの旅」であった。参加費は100万円だと聞いていたが、それが実行されたどうかは分からない。その頃、私はスワミの元を離れ、数名と聖地巡りを実行していたのでわからないが、おそらく中止されたと思う。



 私達3人には、ババ直系のナーガステッキが授与された。これは予期せぬことで、当然制作費や伝授料も必要なかった。ババからのギフトであった。この時から、ババはスワミから巣立ちさせることを設定したのであろう。そうなるように、どんどんとババは裏で動き出したのであります。

PageTop