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2019年10月21日 [Default]

シルディーサイババの思想

シルディー、サイババの思想 2
シルディー、サイババは、自らをカビールの生まれ変わりと称したという。カビール(1440年〜1518年、一説に1425年〜1492年頃)は、神の前の平等という信念を貫き、ヒンドゥーとムスリンの両方の弟子を持ち、それぞれの言葉、それぞれの宗教用語を用いて教えを説いた人である。

シルディー、サイババの場合も、まさしくそうであった。カビールは、神は様々な名で呼ばれようとも唯一つであり、心の中にのみ存在すると説いたが、シルディー、サイババは、こうしたカビール的理念の忠実な実践者だったと言える。サイババの思想の詳しいところは何もわからない。

書物を残していないからだ。伝説などから判断する限り、諸説融合的で一元論的な考えの持ち主だったことは確かであろう。シルディー、サイババはモスクを住処とした。神を呼ぶのにイスラムの言葉を用い、唱えるマントラもイスラムのものだった。

しかし、ムスリンに課せられた日々の祈りを実践することは、めったになかった。彼は厳しい菜食主義者で、ヒンドゥ教徒からは、ヒンドゥーの聖者として尊敬を集めた。二つの宗教・・・・・ヒンドゥー教とイスラーム教が一つになることを、彼は望まなかった。そのかわり、善意、寛容、融和を熱心に説き、各自が生まれ育った宗教的環境の中で努め励む事を説いた。

互いの祝典、祭日を祝い、喜びを分かち合う事を人々に求めた。二つの宗教はともに正しいとし、一方から一方への改宗お良しとしなかった。

シルディー、サイババが前半生を送った頃は、ヒンドゥーナショナリズムが高まりを見せ、ヒンドゥー教とイスラム教徒とのコミュナルな対立が顕在化してくる時期に当たっている。一方、インド帝国が成立し、イギリスのインド支配が着々と強化されつつある時代でもあった。

あおうした時代の潮流に対する反作用からか、著名な思想家・宗教家たちの仲には、「一つの神、一つの宗教」を唱え、万教帰一の理想を強調する者も数多く現れた、カースト制の弊害を憂え、万人の平等を訴える思想がもてはやされた。

インド人たちは、イギリスの植民地支配に抵抗し、一意団結して共通の敵に立ち向かう必要に迫られていたのである。ヒンドゥーとイスラムの融和を唱えるシルディーサイババの思想と行動は、まさしく時代の要請にも応えるものだったと言う事が出来る。

(シルディー、サイババに頭を垂れよ − 皆に平安が訪れますように)

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